がんばれという言葉
がんばれという言葉。
使い方が難しいなぁと思ったのでまとめてみる。
自分の結論としては「がんばれ」と人に言うのはエゴ。それが良い意味か悪い意味か受け取る人次第だと思うので、言葉は悪いかもしれないけど、まぁちょっと先に読み進めてみてほしい。
「がんばれ」という言葉には多数のニュアンスが込められている
「がんばれ」という言葉には、使う状況によってニュアンスというか意味が変わってくる。
例えば、子供が試合に臨む場合に「がんばれ!」と声をかけた場合は「はりきっていけ!」という意味合いになる。
受験生に「がんばれ!」と声をかけた場合は「幸運を祈っているよ、応援してるよ!」という意味合いになる。
見舞いのときに「がんばれ!」と声をかけた場合は「きっと治るよ!」というような意味合いになるだろう。
何もしていない人に対し「がんばれ!」と声をかけた場合は声の意味がなく、とりあえずがんばれ。ということになる。
受け手の状況によって受け取り方が変わる
ニュアンスが多数あるということは、言った人と言われた人で言葉の意味の相違が起きうるということ。
子供が試合に臨む場合を例に考えてみる。
言う側としては一様に、「応援してるよ、はりきっていけ!」というつもりで言ったとする。
- 子供が希望に満ちて試合に臨む場合
素直に嬉しい気持ちになるだろう。
- 相手が絶望的に強く、胸を借りるつもりで臨む場合
士気を高めるような気持ちになるだろう。
- 相手が絶望的に強く、疲弊した試合中の場合
もう手は尽くしたよ・・・あとは何やればいいんだよ・・・と思うだろう。
- 子供が補欠の場合
どうせベンチだよ、がんばれっていっても俺には関係ないだろ!と思うだろう。
これから分かることは、声をかけられる側がポジティブかネガティブかで受け取られ方が違うということ。
ポジティブな人にだけ「がんばれ」といえばいいのか?
じゃあポジティブな人にだけ「がんばれ」といえばいいのか?そういう話でもない気がする。誰がその声をかける人がポジティブかどうかを決め付けるのだろう?人がポジティブかどうか、その人に気分次第であって、他人がとやかく決め付けるものではないはずだ。相対的にポジティブな環境下にいるかどうかは分かるが、その人の心情はその人しかわからないだろう。
元々、「頑張れ」というのは、「我を張る」ということから意味が転じたもの。自分の考えを頑固に通すことからきているため、自分で自分にかける言葉として使うのが一番適切なんじゃないかとも思う。つまり、人に「がんばれ」と声をかけるのは、声を掛ける人のエゴなのだ。
他にかける言葉がみつからない
じゃあなんて言えばいいんだ!
それを答える前に、ちょっとこれを見て欲しい。
Twitter. It's what's happening.
泉谷しげるが、北海道南西沖地震の時も、阪神淡路大震災の時も「てめえら、募金しろ!」つって一人でゲリラライヴやってたよね。売名行為だと言われて「売名?あーそーだよ、オレはよ、売名行為でやってんだ。なぜならよ、有名じゃなきゃ金は集まらんだろ。売名行為だ。一日一偽善だバカヤロー」って。
これに近いものがあるとおもう。
結局、そうは言っても「がんばれ」で励ましてもらいたい人は多いと思うんだ。明らかにネガティブな場合を除き、「がんばれ」で励ましても問題ないんじゃない?エゴ、偽善で結構。それで勇気づけられ、前にすすめるならそれでいいじゃない。
と、「がんばれ」ひとつで考えてみた。
追記
がんばれ!というのは命令形だからよくないのではないかと書いたあとに思った。
がんばってるねと言われた方が嬉しい気がする。その調子!と言われたら気が楽だなぁ。まぁ、それも人に言うのは結局がんばってるかどうかもわからないからエゴなのだけども。